仮免公認会計士Mなりの逡巡

会計士情報半分、雑談半分で再始動します

「人生はゲームみたいなもの」の本当の意味

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 眠れないときは無理に寝ることをあきらめ、くだらないことをあれこれ思考するのがここ最近のルーティーンになっている。

今回はその中の一つに関する話。

 

よく街中で「人生はゲームみたいなもの」という言葉を目にする、または耳にすることが多い気がする。概ね私もその言葉に賛成だ。

 

私はこの言葉を最近まで、何かうまくいかないことや、自分の力が及ばないこと、さらには予想もつかないことに対して、半ばあきらめのように使っていた。

「まあ人生は所詮ゲームみたいなものだし。」と

ゲームという単語のネガティブさはどこから来たのだろう。

 

ゲームの側面の1つとして、買ったばかりの最初や友達と利用しているときは熱意をもってやるけど、ふとしたきっかけで飽きてしまったり挫折してしまったりする性質がある。

何事をするにも、山と谷はあるがゲームのその程度は甚だしいと思う。それはおそらく

ゲームは感情の起伏が激しい幼少期にだれもが通る道だからだろう。

 

そういったきっかけで一度感情の糸が切れてしまうと、熱中していたころがばかばかしくなり、さらにはその熱中していた過去を否定し、一度きりの暇つぶしや遊びだし、と言い訳をしてしまう。

 

話を戻すとこの「人生はゲームみたいなもの」とは、そういった言い訳や挫折からきた「人生は遊び」という意味を含んだ、人生の放棄宣言に近しい言葉である。

 

一度このようなことを思ってしまうと癖になり、極論を言うと、何事もまじめにやることがばかばかしくなり、努力をするのが億劫になる。

私のように、なんらかのきっかけでゲームという言葉をネガティブに使ってしまう人は少なからずいるのではないだろうか。

 

 

しかしこの「人生はゲームみたいなもの」の真意はそうではないのではと思った。

 

ゲームのだいご味は、コツコツとノルマの達成を積み重ね、最終的なゴールに到達することによる達成感だと思う。

これを人生に重ねると、世の中にあるたくさんの壁や障害物を乗り越え、人生を生き抜くことである。

 

ここでゲームと人生の違うところは、その目標の性質である。

ゲーム内の目標は、大概あらかじめ決まっており、その攻略方法もいわゆる正攻法などと定型化されているが、人生での目標は、自分で決めることができるため十人十色である。

 

また目標を達成した後、ゲームでは決まった褒美がもらえる(またはもらえない)が、人生では自分で褒美を見出すことも可能である。

 

 

 

「人生はゲームみたいなもの」とはゲームのそういった目標やゴールという特徴を投影した言葉なのではないか。

 

 

目標に挑み到達しゴールに到着して得られるのは達成感であるが、こういった積み重ねが人生を豊かにするのだろう。

 

 

 

 

さて私も日々の生活の中で小さな目標を設定し充実した生活をおくろう。だって「人生はゲームみたいなもの」なんだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは12時前に起きることから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追記:なんかここ最近ブログっぽくなってね??